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世界トップクラスの調律師Yoshi Nishimura さんの遺稿
- 2013.04.25 Thursday
- ひとりごと
- 20:22
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- by Akiko Sanai
実はまだ書き込み途中なのですが、この記事のアップを首をながーくして待っていらっしゃる方がおいでなので、アップさせていただきます。残りの部分は少しずつ書き足していきます。
遺稿といっても、これはどこかで発表されている記事だと思うのですが、、
昨日、久しぶりにMozart Music House にお邪魔したら、奥様からわたしに渡そうと思って用意していたものがあるの、と手渡していただいたのが今日ご紹介するYoshi さんのインタビュー原稿です。
奥様はインタビューを受けた事さえ知らなかったそうなのですが、これがどこで発表されたのかは分かりません。コンピューターの中の書類を整理していたら出てきたそうです。
以下、その原稿です。
(かなり長いです。)
*******
調律師
西村佳久さん
ーピアノがあなたを愛してくれるまでピアノを愛しなさいー
ただの調律師ではありません。西村さんはなんとウラジミール・アシュケナージのような世界のトップピアニストを顧客とする超一流の調律師、ホノルルシンフォニーなどの交響楽団の仕事も手がけていて、アジア最大のピアノコンクール、香港国際ピアノコンペティションでも調律師を務めています。
インタビューに伺った日はモーツァルトの誕生日。この日は西村さんのピアノショップの創立34周年記念日でもありました。美しいピアノがずらりと並んだ優雅な空間でピアノについての深〜いお話を伺いました。
ーまずは音楽との出会いを教えてください。
「私は広島、宮島の生まれです。子供の頃はカメラマンか報道記者になりたかったんです。ピアノは一切関係なかった。
50年代後半のあの頃はジャズが非常に盛んで、私もクラリネットを買ってもらいましてね、広島でトップの先生について始めはジャズを練習していたんですが、音楽って深いですよね、だんだんクラシックに持っていかれたんですよ、その先生に。高校を卒業して浪人中に、広島放送管弦楽団でクラリネットの2番を吹いていました。
当時叔母が山口県の柳井でヤマハのディーラーをやっていました。私は音楽も機械いじりも好きだから調律師にもってこいだと思われていましてね、跡を継がせるつもりだったようです。強引に勧められたのですが、その気はまったくない。でもクラリネットの先生に相談してみると”つぶしがきくから行って来い”といわれましてね。(笑)。大学を出てジャズをやるならなにか資格でもあったほうがいいだろうということでね。それでヤマハの学校に2年行くことになりました。
2年で学校が終わってから大学に意向と思っていたんですが、ヤマハの組み立て工場のトップの人たちとのふれあいがとても興味深くて、それを振り切って大学には行けないと思いまして、それがこの道への始まりですね。」
ーハワイに来た経緯は?
「柳井に戻って、最初はピアノのセールスとか、色んなことをやりました。そのうちにコンサートチューナーの養成所ができまして、外国に出る気はあるかと聞かれたんです。”はいあります”と答えると、”じゃあ英語を勉強しておけ”と言われました。
それから3ヶ月後に松山さんという重役の方から電話がかかってきて”もう話せるようになったか?”と聞かれまして、そんな無理なねえ(笑)。”まだスタートしたばかりです”と答えたら”これはなかったことと思え”と電話を切られてしまいました。モントリオールに調律師学校を作っているので、私を講師にしようと思っていたんですね。
一晩かけて浜松まで行くわけにもいかなかったので、私は手紙を書きまして”これはフェアじゃない。教えるにしても技術はもちろん大事だけれど、一番大切なのはハートです”と書いたんですね。しばらくしたら返事が来まして、今度は”ホノルルに行く気はあるか?”と聞かれました。もちろん”はいあります”と答えました。
それが1970年のことです。それからずっとここにいます。
イージー・ミュージック・センターがヤマハのディストリビューターで、そこで5年間修理屋を務めました。ピアノだけでなく管楽器の修理、エレクトーンの修理、なんでもやっていました。
こちらでは壊れている楽器がたくさんたまっていたんです。それで私が来るのを皆待ち望んでいたんですね。ハワイ行きが決まってからグリーンカードが出るまでに3年かかりましたから。土曜日と日曜日は休みと聞いていましたから、休みの日はハワイの海に入るのを楽しみにしていたんですが、そんな状態なので休む暇も無い。結局週7日、朝の9時から夜の9時まで働いていました。海に入れないまま今まで来てしまいましたね(笑)。
1970年といえばアメリカがピークの時代。1ドルまだ360円、日本との格差はものすごく大きかった。比べられないくらい裕福でした。
それから、ピアノひとつ修理しても、みんなの反応が日本とは全然違う。いい仕事をするとみんなものすごく評価してくれるんですね。
昔はハワイでもピアノがものすごくうれたんですよ。ホテルストリートにスタインウェイを中心にしたピアノ専門店があって、アメリカのピアノがずらりと並んでいた。1950年代にその店でマネージャーを務めていた方に先日たまたまお会いしたので、当時どれくらい売れていたのか伺ったところ、なんと月に300台も売れていたそうですよ。特に日系人の人たちによく売れていたようです。
それと同じことが中国で今起こっています。上海だけで年間4000台売れるそうですよ。」
ーベーゼンドルファーは日本では幻のピアノだった。213は私のモデルです。ー
ー今日は創立記念日ですね。おめでとうございます。ヤマハから独立したきっかけは?
「この店をオープンしたのは1976年の1月27日です。
私がハワイに来て3年目にヤマハがイージーのディーラーシップを失ったんですね。代わりにカワイが来ました。ヤマハとしては、すぐに私が日本に帰ってくると思ったんですね。私はイージーに仕事に来たわけですから、後継者もいないのにそのまま帰るわけにはいきません。仕事は山積みのままでしたからね。1年でテクニシャンを育ててからと考え、もう1年いることになりましたと、松山重役に手紙を出しました。
松山さんからは「俺は君の生き方が好きだ。あと一年で終わるならその後浜松に帰ってきてもいい。ホノルルで独立するのも男らしくていい。自分の好きな方法を選びなさい。もしもなにか困ったことがあれば、その時は面倒をみるから心配しなくていい。」といって頂いて。ありがたいことにお世話になるようなことにはなりませんでしたが、この言葉は生きていく上で本当に支えになりました。自分の人生で重要な人を3人挙げろと言われたら、松山重役はその中のひとりです。
結局2年イージーに残って、それから独立しました。」
ーここにはピアノがたくさんありますが、メーカーによる違いなどを教えていただけますか?
「ヨーロッパでピアノといえば3Bと言いまして、ベヒシュタイン(Bechstein)、ベーゼンドルファー(Bosendorfer)、ブリュートナー(Bluthner)、この3つはピアノを弾かない人でも誰でも知っています。
ブリュートナーは元々東ドイツのメーカーで、一時経営が難しい時代もありましたが、今は経営が創業者のファミリーに戻りまして、またこれから良くなってくると思います。
ベヒシュタインは最古のピアノ。ベヒシュタインはスタインウェイと同じ”ジャーマンサウンディング”と呼ばれるタイプです。いかにダイナミクスさを出すかというパーカッション的なピアノです。
ベーゼンドルファーが求めたのは”シンギングサウンド”。これが基本にある。ベヒシュタインとは方向性が違います。
一生懸命仕事をしていますと、そのピアノの良さが出てきますね。スタインウェイの良さもよく分かってますし、ベヒシュタインの良さもよく分かってますが、私個人としてはベーゼンドルファーが一番好きです。
どこが好きかと言うと、そうですねプーリングパワーといいますか、惹きつけられる力が強い。
ベーゼンドルファーは日本ではまだ幻のピアノだった。ハワイに来て初めて携わることができたんです。ベーゼンドルファーのディーラーになるには、最初に3台の在庫が必要だったのですが、友人が買ってくれたんです。ひとりはアーネス・チャンさんというハワイで一番のピアノの先生です。ジュリアードを卒業してから指導者としてハワイで活躍しています。
その年にベーゼンのオーナーがここに来ました。ロサンゼルスでNAAMショーという大きな楽器のトレード・ショウが毎年ありまして、その後でいらしたんですね。”ピアノはどこにあるのか”と聞かれたんですが、ピアノはすべて納品してしまったから、ここにはない。”ピアノはすべてオーナーのところにあります”と答えると、”ああそう”で終わりました。社長も非常に喜んで帰られましたけど、帰る前に”いつウィーンに来るの?”と聞かれ、”今年伺う予定です”と答えると、じゃあ待ってるよと言われました。その年の夏にウィーンに行きまして、それがディーラーになった始まりですね。
ベーゼンはピアノの長さで名前を呼ぶんです。213というのは私のモデル。このピアノには私のアイデアが入っているんです。私はこの長さでこういうスタイルで、スタインウェイのBと対抗したいとお願いしたんです。それが実現しました。
84年にウィーンに行った時に次のシップメントを決められたんです。でも商品を送ってもらうとなると、大変なお金がかかります。もちろんそんなお金はありません。ピアノを担保にしてお金を借りようと思ったのですが、ピアノは担保にしてくれないんです、車みたいには。ウィーンの方ではいつピアノを送ろうかと待っている。その時に銀行の外国部の方がLCを書いてくれたんです。おかげで無事ピアノを送ってもらえまして、本当に助かりました。
以前シンフォニーの仕事でシンガポールにスタインウェイを直しに行ったことがありました。そこでは代わりにベーゼンを使っていたんですが、スタインウェイが直ってしまうとベーゼンの置き場がない。きちんと管理された部屋に置いておかないとピアノは全部壊れてしまいます。マネージャーはベーゼンを送り返そうとしたんですが、私はそれはやめなさいとお願いしましてね。リハーサルホールにスペースがあったので、そこに置くように進言しました。いらなくなったからといって突き返したら、スタインウェイが壊れている間にサポートしてくれたベーゼンのディーラーに申し訳ないですからね。それを聞いたディーラーがとても喜んでくれたと聞いています。
1990年に作られたエンペラーというモデルは、世界的に有名なハンス・フォーラインによってデザインされました。足がブラスでできていまして、この足に当たる振動でいつものベーゼンとはちょっと違う音に仕上がっています。足1本で250パウンドの重さがあります。明治天皇にオーストリアから贈られたピアノがイメージされているのですが、戦災にあってオリジナルは焼けてしまった。
20台作られて価格は約25万ドル。このピアノ、実は私が世界で一番たくさん売ったんです。全部で7台売りました。一番売れたのが韓国でした。赤い色が唐辛子の色のようでそれが受けたのかもしれませんね。まずアートギャラリーに入れまして、そこから韓国で新しいルートを作りました。
そうやってヤマハからベーゼンを扱うようになって、そのベーゼンがヤマハの子会社になってしまって、なんだか孫悟空がお釈迦様の手の上にいるような感じですね(笑)。
でも、どうでしょうね、ヤマハの傘下となると・・・・・・ヤマハのシステムの中ではこの小さなピアノメーカーは育たない気がしますね」
ーああ、この人の仕事ができればいいなと思いましたー
ー西村さんはなんとウラジミール・アシュケナージの調律師も務めているそうですね。出会いはどんな感じだったのでしょうか?
「アシュケナージは私の人生に大きな影響を与えた3人の方の中のもうひとりです。彼は去年までNHK交響楽団で指揮者を務めていましたが、今はシドニー交響楽団に移りました。今世紀最高のピアニストのひとりです。クラッシックのCDの売り上げが累積で1位の方です。
87年に初めて彼の仕事をしたんですね。スイスのルガノの自宅のピアノの状態がおかしいと相談されまして、それ依頼ずっと彼のプライベート・テクニシャンを務めています。
不思議なものですね。この人がチャイコフスキーのコンペティションで1位になってすぐにレコードを出したんです。まだ私は日本にいた頃1965年くらいですかね。それを聴いたときに”ああ、この人の仕事ができたら幸せだな”と思ったんです。それからずっと彼に注目していたら、彼の方から来てくれたんです。
アシュケナージはアジアで一番大きいピアノコンクール、香港国際ピアノコンペティションでチェアマンを務めています。3年に1回開催されていまして、今年で3回目を迎えます。パスカル・ロジェ、ピーター・フランクル、クリスティーナ・オーティスなど錚々たるメンバーが審査員に名を連ねています。私はここの調律師も務めています。
朝の9時から翌日の朝9時まで24時間ぶっ続け仕事をしたこともあって、ハードですが、とてもやりがいがありますね。調律というのは前もってできないんです。できるだけ演奏の直前に仕上げたほうがいい。
歌を歌う人たちは、朝は絶対歌わないですよね。ピアノも同じ。夜の演奏に備えてサイクルを合わせていかなければなりません。朝調律するのは良くない。ピアノの場合は大きいから、その分影響湿度や気温の影響を受けます。ステージのピアノは必ず演奏会の前に調律しなければならない。調律というのは演奏会の直前にやるのが調律なんです。
コンサートホールというのは建物自体が安定したエリアなんですよ。一度安定したら、気温湿度はあまり上下しないようになっています。私は必ず私が仕事を始める2時間前にエアコンを入れてもらうようにしています。2時間も前に空調を入れたら電気代もかかりますが、これはもう仕方ない。気温や湿度が安定してピアノが慣れてからでないと調律はできないんです。1時間前ではピアノにタッチすることができません。いつエアコンを入れたかは、これはもう見ればすぐにわかります。
チューニングピンが230から243本、これを同じ位置にセットしなければならない。一度きちんとセットできたら、今度はピンを回さないで曲げるだけで調節していきます。ピンを全部揃えて、サウンドボードにテンションをかけてから修正していく。それがきちんとできあがりますと2時間半の演奏中に温度や湿度が多少変わっても問題ない。バイオリンの人なんかがよく演奏の途中で弦を直しているでしょう?あれは演奏で弦が伸びてチューニングが狂ってしまうから、それでやり直しているんです。それをピアノもしなくちゃならないんですが、240本もどうやってやるか?演奏中に直すことはできませんよね。ですから安定した環境を作らなければなりません。直接ピアノに光が当たったりしないようにセッティングします。調律というのはすべてを見てサポートするものなんです。
来年私は70歳なんですよ。来年もこの香港国際コンペティションの仕事を続けることが目標なんです。」
ー一流のピアニストは決してピアノを叩かない。彼らはピアノを弾いているわけではなく、音楽を作っているんですー
ーその目標は簡単に達成できますよ!ところで西村さんもピアノは弾きますか?
「それは来世の目標です(笑)。大学に入るためチェルニーとか少し練習したことはありますが、周りの人が上手だから(笑)。
”ちょっと音をだしてくれ”と言われたら、恥ずかしいけれど出したりはするんですけどね。
この仕事をしていると指は左の方が大きくなるんです、こう、叩くから。ほら大きいでしょ?
ピアノの前を通りすぎる時、ピンピンピンと鍵盤を叩いていく人がよくいますよね。あれば我々にとっては一番嫌なことなんです。カッと叩かれるとカッとくる。胸を突き刺されるような気持ちがします。すごく心が痛い。ピアノは絶対に叩いてはいけない。
チューニングする時は息を止めているんです。弓で的を狙う時なんかと同じですね。ゆっくり呼吸して、チューニングピンを固定するときにふっと息を止める。そうやってひとつひとつ
調律しているわけですからね。あれはやらないでほしいですね。」
ーピアノの音に基準はあるのでしょうか。どんな音がいいまたは悪いという。
「どんな音がいい音なのか、基準はあるんです。あるんですが、人によって感じ方に差がある。ピアノというのは、これほどアンミュージカルな音の楽器は他にないんです。特に高音。あんなに無理をして出している音はない。私のお客さんの飼っている犬はピアノが大好きでいつもピアノの下にいるんですが、高音を叩くと飛び出してくるんです。それくらい嫌な音なんですね。心に突き刺さるような音。それはミュージカルな音とは言わない。
一流のピアニストは決してピアノを叩かない。音楽というのはオーケストレーション、つまりシンフォニーなんですね。一流のピアニストはピアノを弾いているわけじゃなくて、音楽を作ろうとしているんです。そういう音を作るために私も努力していますし、弾く人も努力している。あの胸を突き刺すような音を出さないように努力しているので、弾く人も非常に楽に弾けるということに繋がって、好んで私を使ってくださっています。
理想のピアノの音はどんなものだと思いますか?我々がいい音を作ろうとするときに作る音は”ヒューマン・ヴォイス”なんです。シンガーの声にいかに近づけられるか。
例えば、チェロの音は人間の声とすごく共鳴しますよね。なぜかというと、チェロの音は人間の声に近いから。バイオリンはちょっと甲高い。それは音域だから仕方ない。それをいかに甲高く聞こえないように弾くかというのと同じことでね。」
ー調律師としてもディーラーとしても西村さんほど成功している方はなかなかいないと思います。成功の秘訣は?
「成功の秘訣ですか?成功しているというか・・・・・・(笑)、調律師というのは、ピアノの音をひとつひとつ作っていく仕事。一般の方にはおそらくわからないでしょうし、ピアニストにもわからない部分があるような仕事です。そこで満足感を得られるのはピアノとの関係なんですね。それを感じられる力をつけないと駄目です。
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